六角形くらいほしい。
自分を形成するものが、六角形くらいあったらいいなって思うようになった。
会社が全てにはなりたくない。今までは悲しいかな。東京にきてから会社がほとんどだったから。会社がだめになったら、仕事がだめになったら全部だめになっちゃう気がして辛かった。何角形も欲しい。
趣味やスポーツ、恋愛、習い事、家族、仕事・・・。
何かひとつが崩れても、ほかでカバーできるように、意識して作っておきたい。
私だったらなんだろうか。
好きな音楽はなんだ、今は矢沢永吉にマライアにショパンにKPOP全般に宇多田ヒカルに
習い事は、お料理教室に、あと今回の件でもう諦めたけど流鏑馬に、、
宣伝会議のコピーライター学校に編集ライター養成のやつもか。そこで知り合った人たちもいるんだった。いい人たちばかりなんだよな。
友達は福岡には割と多くいるんだった。
あと海外旅行とかもすきなんだった。
これからはアロマセラピストにもなりたいし、いずれにしても、もっと広い世界で生きていったほうがよさそうだ。
そしたらきっと弟やお母さん、姉に色んな自分の大事な人が困った時に助けて、守ってあげられる気がする。
人間いずれ死ぬんだから、人とのかかわりのなかで生きていたいって思う。やっぱり役にたちたい。
こんなことを言うといい子に思われるだろうからいえないけど、そうではないんだよなー。。
やっぱり感情がなくなってってる気がするー
感受性豊かで感情表現豊かで百面相なのが自分のいいところであり、悪いところでもあると思っていたんだけども
それが文章を作るにおいて役立ってると思ってたんだけど
わたしにはどうやら、自分を守る機能がちゃんと備わってるらしく(あんしんした)、傷つかないようにだろうねー、あまり一喜一憂しなくなった。
前は、どんな風に自分が思われているのか。
迷惑かけてないだろうか。嫌われてないだろうか。よく思われたい。
仕事でも、もっともっと。もっとがんばらなきゃ。認められたい。褒められたい。とか思ってたんだけども
ずーっと思っては空回りしつつ生きてきたんだけど
もうそういうのが心底どうでもよくなってきてる。
別に死なないし、殺してもないし、命にかかわることはおこってないんだし。みたいな。
うーん。これが一時的にしても、いいことなんだと思うよ。でも社会人としてはいかがなんだろうな。
やる気まんまんな人との温度差が凄い。
外側はあわせられるんだけど、心の温度差がすごい。
わたしが今160%頑張ったところできっと給料や査定?みたいなのは変わらないんだよね。私は評価しにくいところだから。それがやっとわかって。別に投げやりでもやけくそにもなってないんだけど。
だったらやっぱりそのぶん、自分のプライベートや、家族に費やしたいなって思う。
会社はそこそこでいいんだよな。110パーセント位でいい。
現状維持でいい。だから別にランクが上がらなくていい。それだけこっちも求めないから、そっちもワタシにあまり求めないでね。という感じかなー。
そんなん言ったらぶっ飛ばされそう。
最近、怒り。とか、悲しみ。とか、そういうのがほんと平らになってきてる。
それよりもっと悲しいのがこれからくるってわかってるから、それを思うと、大抵どうでもよくなる。
今日の1日は・・・!熊本にいってきた!
今日は熊本の姉の家に、姉と子供たちを迎えにいったんだった。
普通ならここで、母にお迎えを任せて終わり。なんだけど、だって、そんないく時間あるならばあちゃんとこにおるし。と思うから。
でも、なんか、ばあちゃんのとこに元気でいるためにも、たまにはリフレッシュしようって思った。
ほんとはちょこっとだけ、熊本のイオンいきたくて。
あそこのイオン、バレンタインのときすごいんよ。
熊本の有名どころのお菓子屋さんかなり集まって、フェアがあるんよ。
それがすごくって。クリエイティブでかわいいラッピングで素敵なチョコ、オリジナリティ溢れるチョコばかりでツボ!!!
去年そこで買ってから、今年もいきたいなーって。
往復3~4時間。その時間ばあちゃんとこにおれないのはいたいけど、でもいっかなって思っていってきたー!
20~30分以内でささっと買う!と決めて、かってきた~♪
なんかどれも豪華に思っちゃうから、大丈夫かなって。
義理じゃん。基本的に渡すのって。
お世話になってます。いつもありがとうございます。これからもお願いします。って渡すやつじゃん。
なのに、なんか気合いはいってる気がしてならない。
温度感、間違ってる気がしてならない。
本命とかそらこっちもあっちも思わないだろうけど、でも「そんな仲だっけ??」とか思われないかしら。なんて。まーいっかそんなの!
というーかバレンタイン。
私は一人ひとり、基本は違うものをその人にあわせて変えるんだけども。
この人はそこまでかかわらないから、気持ちばかりのやつを
この人はいつもお世話になってるから、ちゃんとしたやつをとか。
むこうって、一気にかうんだよね。男性って女性と違って。
去年ショックだったのが
ポッキー1箱あげてた先輩と、私が探しに探して渡したチョコ
お返しがおんなじだったことー!
こっちは、もうはずかしくて。いつ渡そうかとか緊張して渡すのに
あっちは流れ作業みたいに一緒にどーん!って渡すかんじ。
でもね、それは去年までの私なんで。
今年は違いますよと。もう自分以外に期待とか求めたりとかしないんであまり。
バレンタインも、今年は心もち的に実施するかしまいか迷ったけども、
私は悪い子だなーと思う。
メルマガで去年バレンタインの報告したんだから、今年もイベントはしなきゃダメだし!という気持ちと
ホワイトデーの頃に、もし、もしおばぁちゃんに何かがあって、もしもう辛くてたまらなくなったら、お返しで少し心がやわらぐんじゃないかなとか思ってしまう。
人からのプレゼントってほんとに嬉しいんだもん。ボスが誕生日にくれたものとか、たとえそれがどんなに変なものだったとしてもすんごい嬉しい。
ホワイトデー、去年すごいすっっごい嬉しかったなー。
なんか私のこと考えてくれたものとかもいろいろあって!その気持ちとか、選んでくれた時間とか考えたらもう。しばらくハッピーだった気がする。
でも使うのがもったいなくって、もらったお菓子も食べるのがもったいなくって、なんと賞味期限切れになったものが結構あったんだよなーーーー。
ボスが誕生日にくれたおしゃれなアイスコーヒーとか、結局飲むのがもったいなくて、飾ったまま1年半。
あと物もだ。飾り棚に飾って、毎日目につくところにあるんだけど、なーんか壊したらどうしよ。汚れたら。コーヒーこぼしたら。とか考えたらダメで。
今年の目標は、おばあちゃんと一緒にホワイトデーのお返し食べることー!
メルマガでーきた。
なんとか夜にメルマガの編集後記は提出できた。あとはボスのお返事まち。どきどき。
おばぁちゃんはまだ眠ってない。痛みのレベルは10のうちどのくらいか尋ねると、「7」と返ってきた。
我慢強いばあちゃんが7というなら、私でいうともう、とうに10こえてるだろう。
もう、痛みが1になることはなさそうな気がした。今回。これからが勝負なのかなぁ。痛いというばあちゃんは本当に見るのがきつい。また「いたくないよ~!」という声が聞ける日が来るのかなぁ。
ただ、声が凄くはきはきとしていて、力強い。声だけ聞くと元気みたい。
たぶん、痛いから、覚醒していて声がはっきりしている気がする。でも、回復していて声が出ていると、思いたい。まだ。
あと私がすることは、仕事の残りと、あと飛行機の手配だな。
会社で最近はやっているYammerとかいうソーシャルネットワークでも箸休めにみてみた。ほぉーまた皆いろんなこと書いてるなー。
会社のひとが私に、もっとパフォーマンス上手になるように。自分が10した仕事を4ほどしか伝えないのではなく、4を10伝えるくらいの気持ちになれって言った。
結局このYammerも、パフォーマンス上手な人たちによる格好のツールにすぎないなー。なんだこの投稿、ぞくぞくするわーw。なんて、ひねくれ者は思う。まぁ自分できないから言っている。のもあるのかもしれないが。
そういうことも今はどうでもいいかな。自分の仕事はきちんとするけど、やはり生活の為に、自己表現をして自己実現をするために仕事をするのであって
仕事するために生活はしたくないし。自己表現も、今はこんなにSNSが発展しているから、どこでもできる気がするし。
とはいえ会社にはとても感謝している。チャンス与えてもらって、人にも恵まれて、ありがたい。こうやって振替休日も消化させてもらえる。今時こんな会社珍しい。
今の会社でどのくらい働くのかな。私は。おばぁちゃんがきっかけになるのか、家族がきっかけになるのか、はたまた自分の結婚などのライフイベントがきっかけになるのか。
それともきっかけは訪れないのか!おっとー、自分のことは今はいいんだった。おばぁちゃんのことだけ!さーて、コーヒー飲んで、飛行機手配して、今日の振り返り記録でもするか!
祖母バカ?
みたいなこと看護師さんからいわれたw
だってそうなんだもんー。
うちのおばあちゃん、性格かわいくって、外見美人なんだもーん。
「豆まきの写真、できてましたねー!!よか写真でしたねー!」って鬼役だった看護師さん。
ーそうですよね!おばぁちゃん、えらいかわいくうつってました~~♪楽しそうで本当にありがとうございました~!
「おばあちゃんかわいかった~目がキラキラしてほ
んなって~!」
ーそうですよね。かわいいんですよかなり。美人だし。
「あはは~親ばかならぬ、その逆ですねー」
そうそう。そうなのよね。やっぱり“うちのおばぁちゃんは、ひとあじ違うぜ”って思ってしまうのよね。
親バカはよくいるけど、バカ親含め(!)
うちはどっからどうみても、おばぁちゃん美人でしょー。ひいき目なしにー。
でもって中身とか性格とか、めっちゃピュアでかわいいんよー。
女子力たかいし、子供みたいだし。だけど頭しっかりしてるし。家族思いだしね。
おばぁちゃんのいいとこだけを(!)、わたしも引き継いでいけたらなー。
命のリレーとかいうけど、性格や心もちゃんと引き継いでいきたいなって思う。
だから子供はやっぱりほしいんだよなー。
秘伝のタレみたいに、つぎたしつぎたしで。
ご先祖さまと神様はやはり大事にしなくっちゃね。
おばあちゃんのひいおばあちゃんの話とか聞けたなら、何世代にもまたがって
へたしたら江戸時代とかまで聞けるんじゃないかとかワクワクしたけど
おばあちゃんはおばあちゃんも知らないんだって。ちょっと残念。
私もひいおばあちゃんとか知ってたら、会えてたら。って思うとどきどきする。
そう考えたら、やっぱり姉、でかした。
おばあちゃんは、姉の子供たちのひいおばあちゃんなんだから。こんなに思い出作れてるの凄いもんなー。彼らがうらやましいよ。
頭痛
今日は頭痛がちょっと続くーーーーー
昨晩からちょっと痛かったんだけども。
目の奥とか、頭が痛くて。薬は飲んだんだけどなー!
なーんか病室にくると、前は頭がいたくなって。それもおさまってきてたのに。
普段は頭痛や腹痛とか、あと女子特有のもの含め、風邪とかとも無縁のザ・健康体で過ごしているだけに何なのかはわからないけども。
空気がわるいのかしら。だとしたらこの病室おばあちゃんも頭痛してないといいんだけども。てことで換気しまーーーーす。ドア全開にしまーーーす。
メモメモ。
早い回転。
22時頃、母にいって、病院まで迎えにきてもらった。
今日は弟のことが心配だから、おばあちゃんが寝たのを確認できたら家に帰るつもりで。
そんで帰ろうとしたとき、母が誰かと話してて。
「だれ?あのひとしりあい?」って聞いたら
「〇〇号室の家族の〇〇さん。今、息を引き取られたんだって・・・。。。」
そっかーーー。
そっから言葉が出ない。
会ったことはない。その患者さんと。でも知ってた。家族構成とか、どんな病気なのかとか。
母が患者さんの家族の方と話していたから聞いていた。
私が来るとき、週末の金土日の間に、必ず誰かが亡くなってる気がする。
平日ではなくて週末。
その度にすごく悲しくなる。知っている人ももちろんいたし、お見舞いに行った人もいたし、家族の方と話したこともあったし。
言葉がでないなぁ。
最初は、患者さんの顔が思い浮かんできて、次に家族の方が浮かんで、どんな人生だったのかなぁとか、痛くなかったかな。怖くなかったかな。今家族の人はどんな気持ちなのかなぁとか考えて、
次にあぁやっぱりここは、ホスピスは、そういうとこなんだー。って思い知らされる。
どっかで、どっかで、やっぱり少し期待してて。いやバカだと思うけども。
もしかしてこのまま半年とか、1年とか、それ以上とか、このままおばあちゃん居てくれるんじゃないか。余命とか打ち破ってくれるんじゃないか。進行が停滞してくれないかとか。ガンが寿命においついてくれないかとか。
なんかそんなうっすら希望もってて。
でもものすごい早いペースで人がどんどんいなくなって、どんどん新しい人が、翌日には入ってくるから。
あぁやっぱりそうだよね。ここは亡くなるところなんだよね。とか現実に戻って悲しくなる。みんなここに居る人は、1日でも長く、笑顔でいてほしいと、運命共同体のようなかんじかも。
けど、おばあちゃんが起きたり、話しかけられたら、おっとだめだ!悲しい気持ちに引き寄せられたらだめだ!ってさっとその気持ちもしまって明るく元気に過ごすんだけども。
何度遭遇したんだろうな。毎週のようだったな。
霊柩車に運ばれていくところ。
なくなる前日に苦しそうに叫んでるところ。
家族の方が泣きじゃくる声。
何度もきいたなー。
前は、最初この病院に来た頃は、怖かった。というよりびっくりした。死ととなりあわせなこの場所が。死生観も何も私には備わってなかったから。おじいちゃんしか知らなかったし、おじいちゃんも死に目にあえなかったから。
それに何度も危ないって言われる度に、何年間もかけて覚悟してきたし。植物人間だったから、ってのももちろんある。それでもやっぱりその時は、おじいちゃん大好きだったから、凄く辛い悲しい出来事で。
東京に居た間、親戚がなくなったりしたけど、東京にいたから過程もしらなかった。。
人って、歩ける距離が短くなって、食べる量が少なくなって、お布団のなかにいる時間が長くなって、土に還るように静かに息をひきとるって思ってたんだと思う。想像で。
だから、え・・・?こんな風に人ってなくなるの?死ぬってどういうことなの?って純粋にわかってなくて。
頭がおいつかなかった。一生懸命本とか読んで理解しようと頑張ったけど、実際の光景を見ると、だめで。昨日あのおじちゃん歩いてたじゃん!こないだお父さんお見舞いいったじゃん。つい最近入院してきたばかりじゃん。って、顔には出さないけども内心は混乱してたと思う。
死には今でも慣れないけど、他人とはいえやっぱり悲しいけど、前とは向き合い方が違うかな。
覚悟もあの頃よりはできてるし、なんでなんで?とかはなくなって、そっか。ってなってる。
ホスピスのベッドの空きを待っている人は沢山いるらしい。だけどそれでも今居る人たちは希望だから。余命宣告を受けた人ばかりだと聞くけど、何年も1日でも長く、笑顔で大切な人たちとの時間を過ごしてほしいなって思う。
10月末にもって年内って言われて今2月。
おばあちゃんすごいよほんと。ありがとう。今月末のおにいちゃんの誕生日まで。来月末のばあちゃんの誕生日まで。子供の日まで、私の誕生日まで。欲張りがどんどん月刻みに延長されていくんだろうけど、1日でも長く一緒にまだいたい。
今までいきてきて、こんなにカレンダーを真剣に見たことはないし
どきどきしたこともないし、月はじめにめくるのがこんなに嬉しいと思ったこともない。
よしっ!チョコとコーヒーいただいて、ねようかなー。