早い回転。
22時頃、母にいって、病院まで迎えにきてもらった。
今日は弟のことが心配だから、おばあちゃんが寝たのを確認できたら家に帰るつもりで。
そんで帰ろうとしたとき、母が誰かと話してて。
「だれ?あのひとしりあい?」って聞いたら
「〇〇号室の家族の〇〇さん。今、息を引き取られたんだって・・・。。。」
そっかーーー。
そっから言葉が出ない。
会ったことはない。その患者さんと。でも知ってた。家族構成とか、どんな病気なのかとか。
母が患者さんの家族の方と話していたから聞いていた。
私が来るとき、週末の金土日の間に、必ず誰かが亡くなってる気がする。
平日ではなくて週末。
その度にすごく悲しくなる。知っている人ももちろんいたし、お見舞いに行った人もいたし、家族の方と話したこともあったし。
言葉がでないなぁ。
最初は、患者さんの顔が思い浮かんできて、次に家族の方が浮かんで、どんな人生だったのかなぁとか、痛くなかったかな。怖くなかったかな。今家族の人はどんな気持ちなのかなぁとか考えて、
次にあぁやっぱりここは、ホスピスは、そういうとこなんだー。って思い知らされる。
どっかで、どっかで、やっぱり少し期待してて。いやバカだと思うけども。
もしかしてこのまま半年とか、1年とか、それ以上とか、このままおばあちゃん居てくれるんじゃないか。余命とか打ち破ってくれるんじゃないか。進行が停滞してくれないかとか。ガンが寿命においついてくれないかとか。
なんかそんなうっすら希望もってて。
でもものすごい早いペースで人がどんどんいなくなって、どんどん新しい人が、翌日には入ってくるから。
あぁやっぱりそうだよね。ここは亡くなるところなんだよね。とか現実に戻って悲しくなる。みんなここに居る人は、1日でも長く、笑顔でいてほしいと、運命共同体のようなかんじかも。
けど、おばあちゃんが起きたり、話しかけられたら、おっとだめだ!悲しい気持ちに引き寄せられたらだめだ!ってさっとその気持ちもしまって明るく元気に過ごすんだけども。
何度遭遇したんだろうな。毎週のようだったな。
霊柩車に運ばれていくところ。
なくなる前日に苦しそうに叫んでるところ。
家族の方が泣きじゃくる声。
何度もきいたなー。
前は、最初この病院に来た頃は、怖かった。というよりびっくりした。死ととなりあわせなこの場所が。死生観も何も私には備わってなかったから。おじいちゃんしか知らなかったし、おじいちゃんも死に目にあえなかったから。
それに何度も危ないって言われる度に、何年間もかけて覚悟してきたし。植物人間だったから、ってのももちろんある。それでもやっぱりその時は、おじいちゃん大好きだったから、凄く辛い悲しい出来事で。
東京に居た間、親戚がなくなったりしたけど、東京にいたから過程もしらなかった。。
人って、歩ける距離が短くなって、食べる量が少なくなって、お布団のなかにいる時間が長くなって、土に還るように静かに息をひきとるって思ってたんだと思う。想像で。
だから、え・・・?こんな風に人ってなくなるの?死ぬってどういうことなの?って純粋にわかってなくて。
頭がおいつかなかった。一生懸命本とか読んで理解しようと頑張ったけど、実際の光景を見ると、だめで。昨日あのおじちゃん歩いてたじゃん!こないだお父さんお見舞いいったじゃん。つい最近入院してきたばかりじゃん。って、顔には出さないけども内心は混乱してたと思う。
死には今でも慣れないけど、他人とはいえやっぱり悲しいけど、前とは向き合い方が違うかな。
覚悟もあの頃よりはできてるし、なんでなんで?とかはなくなって、そっか。ってなってる。
ホスピスのベッドの空きを待っている人は沢山いるらしい。だけどそれでも今居る人たちは希望だから。余命宣告を受けた人ばかりだと聞くけど、何年も1日でも長く、笑顔で大切な人たちとの時間を過ごしてほしいなって思う。
10月末にもって年内って言われて今2月。
おばあちゃんすごいよほんと。ありがとう。今月末のおにいちゃんの誕生日まで。来月末のばあちゃんの誕生日まで。子供の日まで、私の誕生日まで。欲張りがどんどん月刻みに延長されていくんだろうけど、1日でも長く一緒にまだいたい。
今までいきてきて、こんなにカレンダーを真剣に見たことはないし
どきどきしたこともないし、月はじめにめくるのがこんなに嬉しいと思ったこともない。
よしっ!チョコとコーヒーいただいて、ねようかなー。